2015-05-15 第189回国会 衆議院 外務委員会 第10号
というくだり、「先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。」というくだりは、非常に胸に迫るものがあるなということを感じます。 そして、「アメリカと戦後日本」については、さきの大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻んだ。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではない。
というくだり、「先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。」というくだりは、非常に胸に迫るものがあるなということを感じます。 そして、「アメリカと戦後日本」については、さきの大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻んだ。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではない。
我が党は、小渕優子委員長が委員長報告で登壇するとき異様な歓声と拍手が沸き起こりまして、これは毎度のことなんですけれども、ただ、私は、大臣がこの地教行法の可決、成立したときの深々と一礼する姿、あれに、本当に言葉には言いあらわせないそういう思いを感じました。
○国務大臣(太田昭宏君) おっしゃるとおり、日本の例えば鉄道におきましても、高い技術を誇るハードに加えまして、極めて正確な運営という、東京駅に新幹線が着く、そうすると、ばっと掃除の方たちが乗る、そして全部シートを替える、そして僅かの、もう瞬時にそれをやり遂げる、そして一礼して去っていくと。これ自体を実は見に来る方たちが海外にはいる。
私がいました私学も、ミッション系ではなく、ごく普通の建学精神にのっとって建学してもう百年がたつという学校でございますが、創設者のその理念に基づいて、私が勤めておりました学校では、朝、国旗掲揚から始まり、そして、国旗が掲揚された前で生徒も教員も一礼をして学校の授業に入る。
普通、条約とかの採決があれば、大臣は一礼されるのが普通なんでしょうかね。実は、前回の先週のこの火曜日の委員会でもされませんでした。福山副大臣と榛葉副大臣ははらはらされて、目くばせしていましたけれども。 今回の二条約と先週の二条約は参議院先議を受け入れたんですよ、国会は。本来、民主党は野党時代はこの参議院先議をほとんど受け入れなかった。
とりわけ、一昨日、この本会議場で難産の末に第二次補正予算が成立した際に、本来は、河野議長の発言の後に、直ちに起立し、議場に対して一礼をすることが慣例であり、閣僚としてのマナーでもあります。ところが、ある方はただ漫然と議場の方を見据えており、また、ある方は隣の閣僚と談笑をしておられました。
幼いころ兄弟げんかをして、兄から、母さんがおまえを産まなかったらこんな病気にならなかっただろうと言われたと話し、最後に、母が病気になってまで産んでくれたこの僕自身を大切にすることだと思うと述べ、一礼して壇を降りました。 子供の声を聞きながら、涙を抑えることができませんでした。頭に浮かんだのは、産院で出産したときの光景です。その日からの十四年間が頭の中に押し寄せてきました。
そして、御存じない方も多いかもしれませんが、戦争が終わったというのに小学校の一年生のときまでは、校庭にあった奉安殿、大臣は御存じかもしれません、奉安殿に、天皇陛下のお写真に毎朝一礼して教室に入ったものであります。 そういうことで、次の質問をさせていただきます。
だから、形だけでいいからおいでよ、こうおっしゃるので、本当に形だけなんだろうと思って行きましたら、なかなかそれはまた二礼二拍一礼だとかございまして、私はしょっちゅう間違って、うちの秘書が後ろで笑っているんですけれども。 私は、神社に行っても何の抵抗もありません。なぜならば、そこに教えがないからです。
そして、伺いますと、おさい銭を出して、平服で、中に入らず、昇殿をされずに、献花料、玉ぐし料等は当然お払いにならずに、一礼をして参拝されたということですから、いろいろ意識をされて、いわば私人としての参拝、私的参拝をされたんじゃないかなと思いますが、これが適切に判断されるということとどういう関係にあるのか、私も聞いておりませんので、またいろいろクエスチョンタイム等の機会があると思いますので、そちらで御党
そして、一礼されて参拝された、こう伺っております。
そして、二礼二拍手一礼というような宗教的な参拝ではなく、一礼を深々とされるということで対応しておられるわけでございますが、それらの前例に倣いながら私的参拝を小泉総理もされたということで、このことは憲法に抵触しているとは考えていない、これが政府の公式見解でございます。
ただ、過去において例えば、二礼二拍手一拝ではなく、一礼をすればそれで宗教的な意味合いが薄れるからそれでいいのであるというような解釈をされた場合もありますが、これは少しこそくな手段ではないかというふうに考えております。
だから、中曽根総理が八五年に参拝したように、参拝の儀式を、様式を簡略化して、神社に向かって二礼二拍手一礼ですか、というような形式を簡略して、一礼だけしてやるという、ある意味じゃこそくな形でのやり方でお茶を濁したというのが多分事実であろうと思います。
国立の施設をつくったらどうかと、こういうような意見が出たそうでございますけれども、その途端に別の委員から、私は時々九段かいわいを散歩するが、いつ行っても千鳥ケ淵墓苑には犬ころ一匹もいない、ところが靖国神社は必ずだれかがもうでている、千鳥ケ淵ですらこのとおりである、新しい施設をつくったところでだれが訪れるだろうか、こんな意見が出まして、そして新しい施設というのは一蹴されて、そして中曽根総理のいわゆる一礼方式
それから、それをどう思うかとおっしゃいますけれども、公的参拝と私的参拝ということについては、もう御存じだと思いますけれども、玉ぐしを奉奠するとか、それから、二礼二拍手一礼ですか、そういうふうなことをするとか、いわゆる公式参拝のための三つの条件というのがあると思うんですけれども、これを総理はなさっていないわけでございます。
○益田洋介君 この辺は非常に大事なことで、いわゆる中曽根方式といって、社頭で一礼するのも違憲だという裁判官の意見もあります。ですから、私はどうしても行きたいというのならば、それは私人として参拝するのをとめるということはできないわけですから、個人の自由なわけですから、公と私の線引きはどの辺にあるというふうに外務大臣はお考えでしょうか。
総理大臣として記名されますか、本殿で神道儀礼にのっとり二拝二拍手一礼で行われますか、玉ぐし料はささげられますか、公費で出されますか、他の閣僚を同行されますか、みずから行かれますか、遺族会主催の会に参加されるのでしょうか。これは、法的な公式参拝がこれまでの政府見解とどう違うのかという問題点でありますから、きっちりとお答えいただきたいと思います。
官房長官おっしゃいますとおり、既に憲法問題、昭和五十年代につきましては憲法上疑義がある、こういうようなことでいろいろと問題になり、総理の参拝が公的だとか私的だとかそういったことが言われてきたわけでございますけれども、六十年八月十四日でございますか、当時の藤波官房長官談話というものが出まして、あすは中曽根総理が靖国神社に公式参拝しますよ、そして憲法の問題につきましては、要するに中曽根総理が参拝された一礼方式
例えば、秋田市では先月、中学生たちの体育大会の開会式で市体育協会の会長が、国旗掲揚、国歌斉唱のとき座っていた人は出ていただきたいと発言をしたり、君が代の伴奏ができなかった先生は処分を受けたり、広島市では秋葉忠利市長が就任式で登降壇の際、日の丸に一礼をしなかったことが三月の市議会で非礼だと問題になったり、さまざまなことが、日の丸・君が代の法制化が社会的強制の空気を生んでいく。
○岡田委員 今の御説明で明らかなように、昭和六十年の官房長官談話あるいは政府の統一見解は、公式参拝と私的参拝をはっきり分けて、そして公式参拝のときには、例えば一礼方式であればそれはいい、こういう考え方を示しているわけであります。